結婚は善意と理解をもって認め合うこと

結婚というものは、ひとつのきちんと固定した社会の制度です。それはけっして単なる愛情だけの結合ではありません。それ以上のものであり、それ以外のさまざまな要素を含んでいるものです。ところで、一方、夫婦の性的結合は、生理的な、また心理的なものです。それは、それだけ取り上げてみれば制度ではないのです。夫の「権利」でも妻の「義務」であってもならないものです。それは愛の行為であり、制度をこえた行為です。ですからこそ、夫婦というものは、たいへんむずかしいのです。私たちはお互い夫婦としていいかげんにその日その日を送り迎えています。制度だともハッキリ考えず、愛情が制度では割り切れないものだとも考えず、あるいはまた制度がある面では夫婦の愛情をつつかえているものだとも反省せず、なんとか適当に結婚生活をいとなんでいます。そして、そのなんとか適当だけで、うまくいっているぱあいには、それでもいいのです。けれども、この制度の上での結合と、こころと肉体の上での結合がしっくり調和しないぱあいが起きたとしたら、私たちの結婚は砂の上にたてられた家屋のように、土台がグラグラしてきます.者ぞみると、この世のすべての結婚のなかのトラブ像、制度、精神、肉体Iこの三つのものの夫婦生活におけるチグハグからでてきているように思われます。この三つのものを調和させるにはどうしたらいいのか?いうまでもなく、夫婦の世界にも、ひとつの道徳が必要なのです。愛だけではなく、愛に美しい規律を与える道徳が要るのです。いっしょに生活し、いっしょにお互いのこころと肉体を通して喜びあうためには、ひとつの道徳が必要なのです。道徳などときいて顔をしかめ座いで下さい。いうまでもなく、まず、お互いに独立した人格を持っていることを心から認め合うこと、けっしていかなるぱあいにも相手を道具あつかいにしないこと、いっしょに協力してふたりの幸福を作り出すために一生懸命努力すること、気をつかうことlその他、ふたりでありながらひとりでもあり、一体でありながら同時にべつべつのふたりでもあることを善意と理解をもって認め合うことlこれが必要なのです.ここを読んで理解したら素敵なパートナーを探しましょう。

出典:出会い アプリ
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結婚は二人が安定感を持つこと

あるいはさらに別の妻は、もう一歩この結論をおし進めてこう考えるかもしれません。「あの人は身勝手だ、ほかの男性はあんなふうではあるまい。あの人は少し動物的でありすぎる」と。このような結論はまことに悲しい、また危険な結論です。そしてひとたび妥がこういう考えの片りんでももっゃいなや、夫婦の性的結合はもはや菖びではなくなるかもしれません。いいかえれば、性的結合は単なる生理的なものだけではないのです。むしろ、心理的なものがその支配権をにぎっているのです。ヒステりーも不感症も、たいはん、心理的な原因によるものだということは、今日、定説となっておりますが、このことは性的結合が心理的結果をもち、心理的な原因によって、つよく左右されるものだということを、なによりもハッキリ示しています。ちかごろは露骨に||むしろ、露骨すぎるくらいに、性の技巧が説かれています。そしてそのため、技巧万能主義に考える人もいるようです。けれども肉体的な技巧だけで、いっさいが立ちどころに解決するなんて考えるのは、少しばかり、いや、大いに、人間を軽蔑しすぎています。『人はパンのみにて生くるものにあらず』です。『性は肉体や技巧によってのみいとなまれるものにあらず』です。結婚の目的は安定感をふたりが持つことだと申しました。一方性的結合の目的はふたりが、同じようなよろこびをそれによって感じ合うことだと申しました。そしてこのふたつのものがほんとうにとけ合ってみたされたとき、はじめて結婚はこの世の男女の祝福に、あるいは『なぐさめのサクラメソト(聖餐)』になることができるのです。そこでこのふたつの目的が一致しない極端なばあいをちょっと考えてごらんになってください。精神的に安定感をもっていない、そこでこの不安定感をまぎらすために、性的結合のむすばれるぱあいを。いうまでもなく、そのいちばんいい例は姦通のぱあいでしょう。まず相手がいないと、何もできないので、相手を探してください。

参考:
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夫婦の悲しい状況

そして、そういうことがたびかさなるぱあい、夫婦はまことに悲しい状況に追いこまれてしまいます。つまり、同じひとつのものから一方が喜びを、他方が不快を感ずるぱあい、そういう関係は他の面ででも、ふたりの間を引き裂いてしまうことになりやすいからです。たとえば、夫婦の反目や争いは、直接、性に関係したことではないかもしれません。けれども、その遠い原因はいまいったような、性的不調和のなかにかくれていたのかも知れないのです。じっさい、夫婦の性的結合の目的はあまりにもしばしば一致しないのです。べつべつなのです。たとえば、男というものはたいへんひとりよがりで好い気な人間です。昼間、妻と何か日常生活の問題ではげしく争ったあとでも、夫は夜は夜で、別人のごとく、妻の肉体を求めることができるのです。そして妻が彼女の肉体をその夜あたえてくれれば、夫はそれだけで、いちおう、満ち足りてしまうのです。ところが、女性である妻の立場からすれば、夫のこういう勝手な、あるいは男性的な欲望のあらわれかたや満足の仕方が、どうしても納得がゆきかねるのです。女性にとって性的結合というものは、つねにもっとも深い愛情のあらわれであるし、またあらわれでなければならないものと考えられています。ところが、夫はこういうことを、まるで考えていないように見えます。妻には夫の熊度や行為が不可解にしか感じられません。そこで、こういう経験をもった多くの妻はかならず、こう結論します。「男というものはこういうものだ。愛情がみちあふれることがなくても、交わることができるのだo」相性が合う結婚相手をみつければ、夫婦間に問題が生じて解決するためにここに書いたような大変なことをしないで済むかもしれません。

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結婚の目的

性の交わりは妻の義務である’けれども、その交わりによって生まれた子供に対しては妻は母として盲目的な愛情をふり注ぎ、はなはだしくは、子供のために犠牲になる、lこれが多くの妻の歩んだ途でした。けれどもこれくらい奇妙なことがあるでしょうか。たいして喜びもなしに交わったことから生れる子供に対して、自分を忘れるような愛情をかたむけるlこれは変なことではないでしょうか。性的結合がもっとも大きな喜びであり、それゆえにまた、その結果生れた子供も最大の喜びである、これならばほんとうであり、また、これでなければいけないと思います。性的結合の喜びと母となる喜びlこの一重の喜びを最大限にあたえてくれるとき、始めて、結婚の目的と性的結合の目的とが一致するように私には思われるのです。どうぞ、あなた自身率直にこの点を反省していただきたいのです。ところが性的結合の喜びは、小説やなにかに書いてあるほど容易に達成されるものではないようです。このことはとりわけ女性である妻にあてはまります。なぜでしょうか。第一に、性の交わりが彼女にとって最初、多少の苦痛をもって出発したものであったからです。第二に、性の欲望がしばしば男性(夫)と女性(妻)とのあいだでくいちがっているからです。たとえば夫が欲するときに妻は欲しない、こういう状況が多かったからです。イギリスのストープス女史はこんなふうに書いています。『夫婦の性生活をおたがいにもっとうまく調整するには、妻のデザイアの高まっているときに、三日ないし四日間くり返して交わり、それにつづく約十日間はまったく性のいとなみをしないことである』(『結婚愛』から)これもひとつの方法でありましょう。けれども、なぜストープス女史は、こういうことをいわねばならなかったのでしょうか?性的結合の喜びlつまり目的lが夫婦べつべつの自分本位の喜びであってはならない、と考えたからです。夫だけが性的結合の喜びを感じ、妻のほうはそれほどに感じないということがあるとすれば、それは夫婦結合の喜びとは申せません。一方だけの喜びにすぎないのです。夫婦間で問題が発生したら、このように解決までは精神的にも肉体的にも大変ですので、相性ピッタリの結婚相手を見つけましょう。

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夫婦喧嘩と時間の関係

時間はおそろしいものです。五分間おくれたばかりに、郷里のお母さんの臨終に間にあわなくなるかもしれません。さいわい今日はラジオが普及しました。そしてラジオは私たちに時間というものの大切なことを、待ったなしというおそろしさを、しみじみと教えてくれます。カレンダーは、もはやのんびりしすぎています。ラジオがカレンダーに変るべきときです。かといって、やたらに時間を気にせよと私はいうのではありません。やたらに時間を気にすると、ソワソワするだけで、仕事は手につかぬものです。このあいだ、夜一時間おきの停電がありました。いま消えるか、あと十分、あと五分なんて考えていると、小説でもゆっくりよめないものです。時間を気にしないで、しかも時間を忘れない、こういうことが必要なのです。時間はまた有難いものです。失恋のための最良の医者は時間です。時間をたっぷりかけて治らなかった恋の病いなど、あったためしがありません。時間はまことにありがたいものです。愛児を亡くした悲しみをさえ、時間はだんだんときほどしてくれます。この国の主婦の労働時間は、たしか十三時間何分というふうに計算されていたかと記憶しています。しかし、十三時間の労働時間はあなたの頭の使いようひとつで、九時間になるかもしれません。楽しい時間はアッという間にすぎさり、時計とにらめっこをしながら、夫の帰宅を待つ時間はやりきれぬほど長ったらしいものです。時間は魔物ともいえましょうか。ひとつ時間というもの、それからあなたの時間の使いかたというものを、いちど、ゆっくり考えてみてください。時間の使い方を考える時間は、きっとあなたの生活に、たっぷりと利息をつけて帰ってくるかと思います。この世の多くの夫婦喧嘩というものは不思議なくらい時間に関係しています。仕事もいいけど、人生設計もしっかり考えて、素敵な出会いを見つけてください。

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